「地球の裏側の生態系を想像する」
日本人は世界中から様々な水産物を輸入して食べています。南極の魚も例外ではありません。ある水産物輸入会社から南極海の魚の同定依頼がありました。このような会社から様々な魚類の同定依頼がしばしば大学に持ち込まれてきますが、南極の魚類はこれが初めてです。写真はノトセニア科の仲間です。
このノトセニアは南極海に固有のグループで、写真とは別の種類ですが、じつは比較的昔から私たち日本人の食卓に上っています。少しお古い方には「銀むつ」という名前に記憶があるのではないでしょうか。かつては切り身として比較的良い値段で流通していたように記憶しています。煮付けにして大変おいしい魚です。しかし、いわゆるスズキ目のムツとは系統が大きく異なるため、この名前はJAS法で使えなくなり、今ではマジェランアイナメあるいはメロという商品名で流通しているようです。
南極海の漁業は、始まって数十年とまだ歴史は浅いのですが、その対象種は短い年月の間にどんどん入れ替わっていきます。成長が遅いのかもしれませんが、ある種を集中的に漁獲するとすぐに獲れなくなってしまうため、対象魚種を次々に移していくためです。この写真の魚は、南極海といってもアルゼンチン海域に分布する種類で、昔から漁業対象種となっていますが、日本にもすでに入っているのでしょうか。地球の裏側で獲れた魚を私たちが食べている、そして、それによってその海の生態系が壊れてしまうかもしれない、魚を食べるにもちょっとだけ想像力を働かせてみましょう。
このノトセニアは南極海に固有のグループで、写真とは別の種類ですが、じつは比較的昔から私たち日本人の食卓に上っています。少しお古い方には「銀むつ」という名前に記憶があるのではないでしょうか。かつては切り身として比較的良い値段で流通していたように記憶しています。煮付けにして大変おいしい魚です。しかし、いわゆるスズキ目のムツとは系統が大きく異なるため、この名前はJAS法で使えなくなり、今ではマジェランアイナメあるいはメロという商品名で流通しているようです。
南極海の漁業は、始まって数十年とまだ歴史は浅いのですが、その対象種は短い年月の間にどんどん入れ替わっていきます。成長が遅いのかもしれませんが、ある種を集中的に漁獲するとすぐに獲れなくなってしまうため、対象魚種を次々に移していくためです。この写真の魚は、南極海といってもアルゼンチン海域に分布する種類で、昔から漁業対象種となっていますが、日本にもすでに入っているのでしょうか。地球の裏側で獲れた魚を私たちが食べている、そして、それによってその海の生態系が壊れてしまうかもしれない、魚を食べるにもちょっとだけ想像力を働かせてみましょう。
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「業務連絡」
ホバートから研究者は飛行機で帰国し、海鷹丸はニューカレドニアのヌーメアに向けて北上しています。データの解析も始まっており、興味深い結果が出てきています。一方では、次の航海17 次観測隊(KARE17)の計画立案・調整、乗船者の選定作業などが始まっています。日本で南極海の海洋生態系を研究する科学者は少なく、KARE17でも乗船研究者の選考には頭を悩ましています。南極海へ出かけるには、いうまでもなく様々な面で莫大なコストをかけています。したがって、乗船研究者にはできるだけズムーズにミスなく観測を遂行することや、研究論文を世の中に発表していく能力が求められます。そのためには研究者は経験を十分に積むことが必要です。そして、あたりまえのことですが、サイエンスに対する強い興味を持っていることも求められます。海洋学者は、いうまでもなく船に乗ってデータを取り、それにもとづいて研究を行います。ふつうは、だれかがデータを取ってくれるわけではありません。南極へ行くとなったら1か月くらい乗船することになり、行ったところで気象条件、海氷条件などにより、予定された観測がままならないこともしばしばです。それでも私たちは研究を続けます。それが使命だからです。さて、皆さんもこのすばらしきリスキーな世界に入り込んでみませんか。興味のある方はぜひ海洋大に入学し、そして私を訪ねてください。KARE16のページはいったん終了しますが、まもなくKARE17のページをスタートさせます。今後もご愛顧ほどよろしくおねがい申し上げます。(茂木)
ホバートから研究者は飛行機で帰国し、海鷹丸はニューカレドニアのヌーメアに向けて北上しています。データの解析も始まっており、興味深い結果が出てきています。一方では、次の航海17 次観測隊(KARE17)の計画立案・調整、乗船者の選定作業などが始まっています。日本で南極海の海洋生態系を研究する科学者は少なく、KARE17でも乗船研究者の選考には頭を悩ましています。南極海へ出かけるには、いうまでもなく様々な面で莫大なコストをかけています。したがって、乗船研究者にはできるだけズムーズにミスなく観測を遂行することや、研究論文を世の中に発表していく能力が求められます。そのためには研究者は経験を十分に積むことが必要です。そして、あたりまえのことですが、サイエンスに対する強い興味を持っていることも求められます。海洋学者は、いうまでもなく船に乗ってデータを取り、それにもとづいて研究を行います。ふつうは、だれかがデータを取ってくれるわけではありません。南極へ行くとなったら1か月くらい乗船することになり、行ったところで気象条件、海氷条件などにより、予定された観測がままならないこともしばしばです。それでも私たちは研究を続けます。それが使命だからです。さて、皆さんもこのすばらしきリスキーな世界に入り込んでみませんか。興味のある方はぜひ海洋大に入学し、そして私を訪ねてください。KARE16のページはいったん終了しますが、まもなくKARE17のページをスタートさせます。今後もご愛顧ほどよろしくおねがい申し上げます。(茂木)

ホバートから研究者は飛行機で帰国し、海鷹丸はニューカレドニアのヌーメアに向けて北上しています。データの解析も始まっており、興味深い結果が出てきています。一方では、次の航海17 次観測隊(KARE17)の計画立案・調整、乗船者の選定作業などが始まっています。日本で南極海の海洋生態系を研究する科学者は少なく、KARE17でも乗船研究者の選考には頭を悩ましています。南極海へ出かけるには、いうまでもなく様々な面で莫大なコストをかけています。したがって、乗船研究者にはできるだけズムーズにミスなく観測を遂行することや、研究論文を世の中に発表していく能力が求められます。そのためには研究者は経験を十分に積むことが必要です。そして、あたりまえのことですが、サイエンスに対する強い興味を持っていることも求められます。海洋学者は、いうまでもなく船に乗ってデータを取り、それにもとづいて研究を行います。ふつうは、だれかがデータを取ってくれるわけではありません。南極へ行くとなったら1か月くらい乗船することになり、行ったところで気象条件、海氷条件などにより、予定された観測がままならないこともしばしばです。それでも私たちは研究を続けます。それが使命だからです。さて、皆さんもこのすばらしきリスキーな世界に入り込んでみませんか。興味のある方はぜひ海洋大に入学し、そして私を訪ねてください。KARE16のページはいったん終了しますが、まもなくKARE17のページをスタートさせます。今後もご愛顧ほどよろしくおねがい申し上げます。(茂木)

「歓迎レセプション」
「歓迎レセプション」
研究者18名は海鷹丸よりひとあし先に28日に帰国しますが、ホバートでいくつかの重要なイベントがあります。実は、このイベントのサポートのために、この私(茂木)も海洋観測支援センターの内山さんとともに22日からホバート入りし、準備をしてきました。その一つ目は、入港日の夕方にさっそく行われたホバート市長主催の歓迎レセプションです。これは、海鷹丸の乗船者全員が招待され、市の中心部の1866年に建てられたタウン・ホールで行われました。鶴田副学長も日本からホバートまで来られレセプションに出席し、メルボルンからは主席領事も来られました。ホバート側は、市議会議員のほか、Australian Antarctic Divisionの所長や主席研究者ら、タスマニア大学学長、Tasmania Polar Networkの関係者らが多数参加され、盛大なレセプションとなりました。これまでもホバートと海洋大「海鷹丸」は研究者レベル、あるいは市民との交流を重ねてきましたが、このレセプションによって、この関係が公式にオーソライズされたことを意味します。(茂木)

「ホバート入港」
11月12日、「海鷹丸」の東京出港に合わせて始めたこのページを開始しましたが、年が替って1月24日、海鷹丸はオーストラリア・ホバートに入港しました。フリーマントルを12月31日に出港し、南極海での25日間の観測を終え、久しぶりの入港となります。北出隊長を始め研究者の皆さん、船員、専攻科学生のみなさん、本当にお疲れさまです。しばし、心身ともに十分な休息を取ってください。しかし、研究者には、帰国してからデータ処理、サンプル処理、論文執筆と、終わりの無い科学研究のプロセスが続きます。すでに私の手元には60ページ以上に渡る、今回のKARE16の航海報告書が届いています。気象条件や海氷状況など、大きな困難もあったようですが、ここに書かれていない多くの困難を乗り越えてきたことは想像に難くありません。彼らが大きな科学的成果をあげ、元気に戻ってきたことをここに報告いたします。
11月12日、「海鷹丸」の東京出港に合わせて始めたこのページを開始しましたが、年が替って1月24日、海鷹丸はオーストラリア・ホバートに入港しました。フリーマントルを12月31日に出港し、南極海での25日間の観測を終え、久しぶりの入港となります。北出隊長を始め研究者の皆さん、船員、専攻科学生のみなさん、本当にお疲れさまです。しばし、心身ともに十分な休息を取ってください。しかし、研究者には、帰国してからデータ処理、サンプル処理、論文執筆と、終わりの無い科学研究のプロセスが続きます。すでに私の手元には60ページ以上に渡る、今回のKARE16の航海報告書が届いています。気象条件や海氷状況など、大きな困難もあったようですが、ここに書かれていない多くの困難を乗り越えてきたことは想像に難くありません。彼らが大きな科学的成果をあげ、元気に戻ってきたことをここに報告いたします。

「KAREの歴史についてⅡ」
掲載が前後しています。ご了承ください。(茂木)
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1月21日
「KAREの歴史についてⅡ」
BIOMASSの2回目の航海は、1983年度に行われましたので、海鷹丸Ⅲでの南極海調査は12年ぶりということになります。参加した教員は山口先生と私、それから極地研の牛尾さんの3人で、院生が7人という小さな研究チーム。ほかにOBで海洋ジャーナリストの永田さんとテレビ番組の制作班でした。この時乗船した院生の内、博士課程の1年だった平譯さんは、極地研の助手を経て、北大の准教授となり、主として北極海の研
究を行っています。修士1年で参加した千葉早苗さんは、オーロラ オーストラリスに乗船したり、AADに滞在してホージーさんの指導を受け、学位取得後は海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究員になりました。もう一人は、何を隠そう、今回乗船中の宮崎(堀本)奈穂先生です。
この航海では、永田さんや、取材チームの希望もあって、交通艇を下して着底氷山の周りで調査を行い、またオーストラリアの国立公園となっている亜南極の島、マコーリー島に寄港してAADの基地を訪問しました。ロイヤルペンギンやオオサマペンギンの営巣地があり、またゾウアザラシの繁殖地です。この航海に乗船した専攻科生の皆さんには、思い出深い経験となったのではないでしょうか。そういえば、この日誌を大学ホームページに掲載してくれている内田先生は、専攻科生として乗船していたのでした。
2000年には、海鷹丸Ⅳが竣工しました。操船訓練や海技科目を中心とした専攻科教育に海洋観測に関する教育を加えて高級海上技術者を養成しようという動きがあり、最新の観測機器を装備することとしました。また、伝統ある南極海の調査・研究をより行いやすいように配慮して、観測ウインチやクレーンなどの装備が整えられました。
当時、極地研では、多くの研究船を、時間をずらして南極海に派遣し、南極海の春から秋の間の季節的な生態系の変化をとらえようとするプロジェクトが進行していました。2001年度には、その一回目が行われ、しらせ、白鳳丸、オーロラ オーストラリス、タンガロア(ニュージーランドの研究船;極地研が傭船)がこれに加わりました。海鷹丸はこの年には間に合いませんでしたが、2002年度の南極海航海から協力することとなりました。海鷹丸南極海航海としては通算9回目(KARE9)です。その後、極地研との共同研究として経費の一部を負担してもらうことになり、2004年度から、3年に2回のペースで南極海に行くことになりました。その一回目(KARE10)は、ケープタウンを出発して昭和基地沖の観測を行ってフリマントルに入港し、フリマントルから南下して再度、南極海の調査を行ってメルボルンに入港でした。何と、第一回の南極地域観測のときに、海鷹丸が行って以来、昭和基地沖の海洋観測が行われたのは48年ぶりということになります。長くなりましたので続きは次回に。どうも年寄りは、昔話となると長くなってしまいます。どうもすみません。写真は、マコーリー島のAAD基地での記念写真です。前列左端は山口先生。その右は私。後列左端は基地の隊長。右端は永田さんです。(石丸)
