「KAREの歴史についてⅠ(続き)」
1月19日②
海鷹丸Ⅲの次の南極航海は、1995年度に実施されました。排他的経済水域の設定などにより、遠洋漁業が衰退し大型漁船の士官としての就職口が減ったため、専攻科に進学する人が減り、定員割れが問題となっていました。ある日、船長の春日さんに呼ばれ、学生を増やすためには面白い航海をやらねばならんので、南極海に行くから協力するようにということでした。それまでに、大変お世話になりましたので、もちろん断るわけにはいかないのですが、私には経験がありません。ただ、一緒に呼ばれた山口教授が、海鷹丸の二回のBIOMASS航海に乗船されたということですので心強くはありました。オーストラリア南極局(AAD)のホージーさんは、当時、極地研究所に滞在しており、AADの砕氷船オーロラ オーストラリスで大規模なオキアミ調査をやるので、一部の観測線を違う時期に観測してくれないかとの依頼を受けました。私の南極との関わり、極地研との関わり、そしてホージーさんとの関わりはこの時に始まりました。それまでは、南極海のことなど全く何も知らなかったのです。実は、今もあまり知らないのですが・・・・。
長くなりすぎたので、今日はここまでとさせてください。写真は、南極海に浮かぶ海鷹丸Ⅲです。

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