海鷹丸と南極の歴史
海鷹丸が初めて南極に行ったのは1956年のことです。そうです。これは第1次日本南極地域観測隊として「宗谷」がタロとジロを乗せて南極に向けて出航した年と同じです。海鷹丸は、実はその「宗谷」の随伴船として南極海に赴きました。突貫工事で作られた「宗谷」では、ほんとうに南極の氷海を突破できるのか、みな不安だったのです。そこで海鷹丸が後方支援のために宗谷に同行したのです。いまの海鷹丸は4代目になりますが、このときの海鷹丸は2代目です。写真の右後方に見えています。この写真は1956年のも
のかは定かではないのですが、かなり初期であることは間違いないでしょう。全員で万歳三唱しています。左に制服を来て整列しているのが専攻科の学生でしょう。中央の後ろ姿、壇上の男性は不明ですが、何やらえらい人であることは間違いありません。そのえらい人のすぐ右の最前列には外国人が二人並んでおり、軍人でしょうか。ひとりは制帽をかぶっています。何人ものカメラマンの姿も見えます。今でも南極に行くのはたやすいことではありませんが、まだ敗戦から立ち直りつつある当時の日本ではたいへんな事業だったはずです。また、国際社会の一員として日本が復帰するといった意味で国内は大いに盛り上がったことでしょう。この見送りはそれを物語っています。
企画展「練習船-知られざる海洋観測の担い手-」が東京海洋大学の水産資料館で今日からスタート。12月21日まで開催されます。お近くの方はぜひお立ち寄りください。https://www.kaiyodai.ac.jp/event/1101/17828.html

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