「歓迎レセプション」
「歓迎レセプション」
研究者18名は海鷹丸よりひとあし先に28日に帰国しますが、ホバートでいくつかの重要なイベントがあります。実は、このイベントのサポートのために、この私(茂木)も海洋観測支援センターの内山さんとともに22日からホバート入りし、準備をしてきました。その一つ目は、入港日の夕方にさっそく行われたホバート市長主催の歓迎レセプションです。これは、海鷹丸の乗船者全員が招待され、市の中心部の1866年に建てられたタウン・ホールで行われました。鶴田副学長も日本からホバートまで来られレセプションに出席し、メルボルンからは主席領事も来られました。ホバート側は、市議会議員のほか、Australian Antarctic Divisionの所長や主席研究者ら、タスマニア大学学長、Tasmania Polar Networkの関係者らが多数参加され、盛大なレセプションとなりました。これまでもホバートと海洋大「海鷹丸」は研究者レベル、あるいは市民との交流を重ねてきましたが、このレセプションによって、この関係が公式にオーソライズされたことを意味します。(茂木)

スポンサーサイト
「ホバート入港」
11月12日、「海鷹丸」の東京出港に合わせて始めたこのページを開始しましたが、年が替って1月24日、海鷹丸はオーストラリア・ホバートに入港しました。フリーマントルを12月31日に出港し、南極海での25日間の観測を終え、久しぶりの入港となります。北出隊長を始め研究者の皆さん、船員、専攻科学生のみなさん、本当にお疲れさまです。しばし、心身ともに十分な休息を取ってください。しかし、研究者には、帰国してからデータ処理、サンプル処理、論文執筆と、終わりの無い科学研究のプロセスが続きます。すでに私の手元には60ページ以上に渡る、今回のKARE16の航海報告書が届いています。気象条件や海氷状況など、大きな困難もあったようですが、ここに書かれていない多くの困難を乗り越えてきたことは想像に難くありません。彼らが大きな科学的成果をあげ、元気に戻ってきたことをここに報告いたします。
11月12日、「海鷹丸」の東京出港に合わせて始めたこのページを開始しましたが、年が替って1月24日、海鷹丸はオーストラリア・ホバートに入港しました。フリーマントルを12月31日に出港し、南極海での25日間の観測を終え、久しぶりの入港となります。北出隊長を始め研究者の皆さん、船員、専攻科学生のみなさん、本当にお疲れさまです。しばし、心身ともに十分な休息を取ってください。しかし、研究者には、帰国してからデータ処理、サンプル処理、論文執筆と、終わりの無い科学研究のプロセスが続きます。すでに私の手元には60ページ以上に渡る、今回のKARE16の航海報告書が届いています。気象条件や海氷状況など、大きな困難もあったようですが、ここに書かれていない多くの困難を乗り越えてきたことは想像に難くありません。彼らが大きな科学的成果をあげ、元気に戻ってきたことをここに報告いたします。

「KAREの歴史についてⅡ」
掲載が前後しています。ご了承ください。(茂木)
----------------------------------------
1月21日
「KAREの歴史についてⅡ」
BIOMASSの2回目の航海は、1983年度に行われましたので、海鷹丸Ⅲでの南極海調査は12年ぶりということになります。参加した教員は山口先生と私、それから極地研の牛尾さんの3人で、院生が7人という小さな研究チーム。ほかにOBで海洋ジャーナリストの永田さんとテレビ番組の制作班でした。この時乗船した院生の内、博士課程の1年だった平譯さんは、極地研の助手を経て、北大の准教授となり、主として北極海の研
究を行っています。修士1年で参加した千葉早苗さんは、オーロラ オーストラリスに乗船したり、AADに滞在してホージーさんの指導を受け、学位取得後は海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究員になりました。もう一人は、何を隠そう、今回乗船中の宮崎(堀本)奈穂先生です。
この航海では、永田さんや、取材チームの希望もあって、交通艇を下して着底氷山の周りで調査を行い、またオーストラリアの国立公園となっている亜南極の島、マコーリー島に寄港してAADの基地を訪問しました。ロイヤルペンギンやオオサマペンギンの営巣地があり、またゾウアザラシの繁殖地です。この航海に乗船した専攻科生の皆さんには、思い出深い経験となったのではないでしょうか。そういえば、この日誌を大学ホームページに掲載してくれている内田先生は、専攻科生として乗船していたのでした。
2000年には、海鷹丸Ⅳが竣工しました。操船訓練や海技科目を中心とした専攻科教育に海洋観測に関する教育を加えて高級海上技術者を養成しようという動きがあり、最新の観測機器を装備することとしました。また、伝統ある南極海の調査・研究をより行いやすいように配慮して、観測ウインチやクレーンなどの装備が整えられました。
当時、極地研では、多くの研究船を、時間をずらして南極海に派遣し、南極海の春から秋の間の季節的な生態系の変化をとらえようとするプロジェクトが進行していました。2001年度には、その一回目が行われ、しらせ、白鳳丸、オーロラ オーストラリス、タンガロア(ニュージーランドの研究船;極地研が傭船)がこれに加わりました。海鷹丸はこの年には間に合いませんでしたが、2002年度の南極海航海から協力することとなりました。海鷹丸南極海航海としては通算9回目(KARE9)です。その後、極地研との共同研究として経費の一部を負担してもらうことになり、2004年度から、3年に2回のペースで南極海に行くことになりました。その一回目(KARE10)は、ケープタウンを出発して昭和基地沖の観測を行ってフリマントルに入港し、フリマントルから南下して再度、南極海の調査を行ってメルボルンに入港でした。何と、第一回の南極地域観測のときに、海鷹丸が行って以来、昭和基地沖の海洋観測が行われたのは48年ぶりということになります。長くなりましたので続きは次回に。どうも年寄りは、昔話となると長くなってしまいます。どうもすみません。写真は、マコーリー島のAAD基地での記念写真です。前列左端は山口先生。その右は私。後列左端は基地の隊長。右端は永田さんです。(石丸)

「捕鯨船ではありません」
シーシェパードのテロ行為は最近になってようやく糾弾されるようになってきましたが、オーストラリアは基本的に反捕鯨の人たちが多い国です。捕鯨の賛否はともかく、海鷹丸という日本の観測船(もちろん本当は練習船です)がホバートに入港すると、捕鯨船やそれに関与する船である疑いがかけられることがこれまでもしばしばありました。そこで、3年前からタスマニア豪日協会やタスマニア大学の学生さんの協力を得て、海鷹丸の見学会と交流BBQを行ってきました。ホバートは南極海の研究をするためにはもっとも重要な港のひとつであることから、海鷹丸はこれからも頻繁に訪れることになります。であれば、「海鷹丸」をホバート市民に正しく認知してもらうことが重要で、ホバート市民に歓迎される船にならなくてはなりません。地道な交流が少しずつ形になりつつあります。写真はWaterworks Reserveという静かな美しい公園で25日に行われたBBQのときのものです。豪日協会やタスマニア大学の皆さん、ありがとうございます。また来年お会いしましょう。(茂木)


「オーロラ出ました」
1月20日
今日は日曜日。朝食はホットドックでした。久しぶりに晴れて、暴風圏なのにあまり揺れず、甲板にもあまりしぶきがかからなくなったので、清水に漬けてあったRMTネットをウインチで吊って干しました。巨大なテントのようです。

そういえば、観測を始めてから今日までで、日がさしたのは9日の午前中と、16日の係留が終わってから2,3時間、それとアイスオペレーションⅡの日のしばらくの時間だけでした。午後は、専攻科の皆さんに本調査の成果報告会。その後は片付けとバードウオッチングなど。目視観測は南緯60度で終わり、今は趣味の世界です。いつもならアホウドリが船についてくるのに、今回はあまりつきません。
18時にCPRを引き上げ、カセットを変えて再投入しました。
南緯50度から55度はオーロラが良く見えるのでみんな期待しています。昨日は、曇りでダメでしたが、今日は晴れ間が多いので期待が膨らみます。専攻科の諸君は、19時半から掃除で、20時から、巡検といってチョッサー、ボースン、ストーキーとワッチの専攻科生2人が船内を見回ります。それが終わると、ワッチ外の人は飲んでも良いということなので、あちこちに集まって始まりましたが、オーロラが気になるのでスローペースです。23時過ぎに船内が騒がしくなりました。元極地研、現在観測支援センターの特任助教の高澤さんは、オーロラがでたら電話するようにブリッジに頼んで安心して飲んでいるようでした。さすが南極海12回目。ということで、みんなについてコンパスデッキ(ブリッジの上の甲板)に登ると、しばらくしてオーロラが強く輝きました。今回見るのは、今までに見たことがないくらい明るいもので、船中大興奮でした。光が弱くなって、その後で曇ってしまいました。1時半ごろ晴れ間が出たのですが、オーロラは光りませんでした。(石丸)

「KAREの歴史についてⅠ(続き)」
1月19日②
海鷹丸Ⅲの次の南極航海は、1995年度に実施されました。排他的経済水域の設定などにより、遠洋漁業が衰退し大型漁船の士官としての就職口が減ったため、専攻科に進学する人が減り、定員割れが問題となっていました。ある日、船長の春日さんに呼ばれ、学生を増やすためには面白い航海をやらねばならんので、南極海に行くから協力するようにということでした。それまでに、大変お世話になりましたので、もちろん断るわけにはいかないのですが、私には経験がありません。ただ、一緒に呼ばれた山口教授が、海鷹丸の二回のBIOMASS航海に乗船されたということですので心強くはありました。オーストラリア南極局(AAD)のホージーさんは、当時、極地研究所に滞在しており、AADの砕氷船オーロラ オーストラリスで大規模なオキアミ調査をやるので、一部の観測線を違う時期に観測してくれないかとの依頼を受けました。私の南極との関わり、極地研との関わり、そしてホージーさんとの関わりはこの時に始まりました。それまでは、南極海のことなど全く何も知らなかったのです。実は、今もあまり知らないのですが・・・・。
長くなりすぎたので、今日はここまでとさせてください。写真は、南極海に浮かぶ海鷹丸Ⅲです。

「KAREの歴史についてⅠ」
1月19日①
観測チームはCPR君に採集をお任せして、昨晩は久々にリラックスしてしまったので、今日はまったりしています。時間ワッチで観測している間は、ゼロヨン(*)は深夜食をとって朝食を食べないのですが、ワッチが解散したので、朝食が皆一緒になり食堂がにぎやかになりました。午後から、チームごとに後片づけをしました。
さて、今回の調査の位置づけについてちょっと考えてみることにします。海鷹丸Ⅱが初めて南極海に行ったのは、日本初の南極観測隊が派遣された1956年度です。地球観測年の前年でした。砕氷船宗谷は、小さな船でしたので、海鷹丸の前甲板にヘリポートを設置し、機材を積んで随伴しました。宗谷が海氷域にいる間は、海鷹丸は沖合で海洋観測をして待機しました。昭和基地の沖合は、今年も「しらせ」が接岸できなかったことでお分かり頂けると思いますが、夏でも海氷で閉ざされていて、海鷹丸は近づくことができないのです。その後、海鷹丸は宗谷に随伴することは無く、独自に3回の南極海の観測や資源調査を行いました。
1973年に竣工した海鷹丸Ⅲも4回の南極海航海を行っています。このうちの2回は国際協同調査であるBIOMASS計画の一環で、ほかには、東大海洋研究所の白鳳丸や水産庁の開洋丸が参加しました。私は、当時海洋研の助手になったばかりでしたが、与えられたテーマの関係から残念ながらBIOMASS計画に参画することはできませんでした。
その後、1989年に東京水産大学のプランクトン研究室の助教授に着任しました。私に求められた役割は練習船を活用した生物海洋学の推進ということだったと思います。
1990年に起きた湾岸戦争では、大量の重油がアラビア湾(ペルシャ湾)に流れ込み環境の悪化が懸念されました。海鷹丸Ⅲは92年から3年次にわたり、この海域の調査を行いました。政府の要請を受けての調査でした。毎年、20名程度の教員、院生とほぼ同数の現地の研究者や研修生を乗せての航海で、もちろん、専攻科も乗船するわけですから、大変な大所帯でした。私は番頭役で、観測機器の調達整備から観測計画のまとめ、外国人乗船者のお世話、船との調整などを行いました。イスラムの戒律に抵触しないようにするのは結構大変でした。それまでに、水産大の3隻の練習船の内、一番小さい青鷹丸(せいようまる)には、毎月乗せていただいていましたが、練習船の多くの方々とは、このとき以来、親しくさせていただくようになりました。なかなか話が進みませんが、もう少し付き合って下さい。
「アイスオペレーションII」
1月18日午後
ネット祭りが終わった後、大きな氷山の傍らにシフトして、持ち場を離れられる人全員が集合して、南極観測本隊の皆さんの寄せ書きのある旗を囲んで記念写真を撮りました。

その後、2度目のアイスオペレーションを行いました。11日にボートを下して着色氷を採集しましたが、今回も大変重要なミッションです。氷山が割れてできたちいさな氷が風下側に筋状に並んで流れているのを、特殊な採集器具で掬い取るのです。

南極大陸は、降り積もった雪が圧縮されてできた厚い氷に覆われています。この氷が氷河となって長い時間かかって海に滑り落ちてできるのが氷山です。雪に入っていた空気は氷に閉じ込められ、次々と上にできる氷の重さで圧力が高くなっています。氷を水に入れると(ウイスキーのほうが良いのですが)、溶けるときに空気がはじけて音がします。私たちは、これをパチパチ氷と呼んでいて、大事なお土産にしています。話のタネにとてもいいと思いませんか。

これでほとんどの観測が終了です。再び、CPRの登場です。

氷山の傍らから南緯50度ぐらいまで、北上中に1日一度メッシュをまいたカセットを交換しながらサンプリングを続けるのです。今晩は、あちこちで宴が催されるでしょう。パチパチ氷に久々にお目にかかる人も、初めての人も十分楽しんでください。
「ネット祭り、各層採集のお話2、そして祭りの後」
1月17~18日午前中
17日の朝から18日の昼までは生物チーム主体の観測です。IONESSによる昼夜採集を行うために、夜が少し長くなるところまで北上し、測点を南緯62度、東経110度を測点としました。10時前に、まず大型採水器付きのCTD観測から始め、NORPACネット(小型ネット)、IONESS深層、浅層採集、通常の海底直上までのCTDキャスト、
暗くなる21時30分過ぎから夜のIONESS深層採集開始、日が変わってIONESS回収、同浅層採集、
4時からRMTの深層採集、続いて浅層採集で12時終了予定。
最後の観測点です。

RMTは、IONESS同様の開閉式ネッですが、採集層は3層のみです。その代わり、網口面積が8m2で目合いが4.5㎜と網口面積が1m2で目合いが0.33㎜の2種類のネットを同時に開閉することができます。開閉方法はIONESSと同様ですが、ネットを取り付けたバーを滑らせるのはレールではなくて、ワイヤーロープになっていて使わないときはコンパクトに畳むことができる点で異なります。
大きな網の方では比較的大型でレアな生物の採集、小さい網の方ではその餌となるようなプランクトンを採集するという仕掛けです。準備に人手がいるのが難点ですが、大型の生物を取るにはもってこいです。500-1000mのサンプルでは大型(傘径25㎝)のクラゲや、小型のクラゲ、ナンキョクダルマハダカ(ハダカイワシ科魚類)などがとれました。これらは南極海の中・深層の常連ですが、珍しい種類も取れています。

サンプルは、ホルマリン固定して分類し、分布をしらべるためだけではなく、新鮮な状態で選別(ソーティング)して、固定すると変化してしまう形質を測定したり、生化学的あるいは遺伝子な解析を行うために液体窒素中で凍結したり、アルコールに付けて持ち帰ったりします。


顕微鏡下でソーティングしているのは、南極海に固有のカイアシ類で、夏は浅いところで成長し、親になる直前の段階で中・深層に潜り、翌年の春に親になって表層に戻り、産卵します。
主要カイアシ類や深海魚については、安定同位体比(炭素13と12の比、窒素15と14の比)を測定することにより餌を推定することができます。
もちろん餌になりそうな生き物や、水に浮かんでいる粒子の同位体比も測らなければならないので、サンプリングは、海水の大量濾過などさまざまな方法で行っています。

サンプル瓶を並べた写真は、IONESSの深層(1500m~400mまで8層、上の写真)と浅層(400m~海面までの8層、下の写真)のサンプルのシリーズです。

浅い方(右側)の2本は、それぞれ80~40m、40m~3mまでのサンプルです。サンプルがたくさん取れたので大きい瓶に入れてあります。これら2 層では珪藻(植物プランクトン)が非常に多く、目詰まりして水が濾せないので、動物プランクトンがうまく捕れません。RMTの8m2のネットは目が粗いので珪藻は詰まらず、50mから水面までのサンプルにはナンキョクオキアミの小型個体がたくさん捕れていました。IONESSの深層のサンプルにはクラゲ(赤いもの)が見えます。
このほか、表面のプランクトンはIONESS浅層曳きと同時にORIネットを舷側から曳くことによって採集しました。ついでに言うと、表層の小さなプランクトンはCTD観測中にNORPACネットによって採集しました。さまざまなネットを総動員して、まさにネット祭りでした。


RMTの浅層採集の曳網がはじまると、IONESSの解体が始まり、9時にはバラバラになっていました。さらに、 12時過ぎにRMTが回収されると、サンプル処理と並行して、ただちに解体されネット祭り終了の感慨にふける間もなく、13時前には完全に解体が済みました。いつもながら、甲板部の後片付けの速さにはびっくりしてしまいます。

「1年間宜しく」
1月16日
昨日からやっていた南緯64度のCTDシリーズの後は、係留系の設置点の地形調査です。南極海では良くあることのようですが、海図とは水深が全然違っていて、かなりの範囲をサーベイしなければなりませんでした。設置点を決めてCTD観測を済ませ、6時半から係留を開始しました。
大きな作業となると、ボースンの神崎利幸さんと(甲板長:黒いパーカー)とストーキー(甲板次長:青いパーカー)の佐藤匡さんの腕の見せ所です(写真その1、その2)。まず黄色いカバーに入ったガラス玉のブイを投入、船をゆっくり航走させてロープを張りながら少しずつ繰り出してセンサー(写真では流速計)を投入、再びブイ、センサーと次々に投入して、最後はブイ、音響切り離し装置の投入、アンカー(レール)をスナッチフックで吊るしたまま設置予定点まで航走し、スナッチフックのひもを引いてアンカーを投入して終了です(写真その3~5)。新しいデジカメの高速連写性能のおかげで、スナッチフック解放の瞬間が撮れましたので載せておきます(写真その5)。やはり新しいものは良くできていますね。人間はそうでもないですけれど。
海洋観測支援センターの博士研究員の嶋田さんが、音響切り離し装置の船上局から信号を送って、切り離し装置の着底と設置水深を確認しました(写真その6)。南緯63度50分、東経107度40分と50分のあたりにそれぞれ1系設置です。水深はおよそ3250mと3600mでした。係留系は底層水の流向・流速と水温・塩分を測定するためのものなのでロープが短く、設置は短時間で済みました。来年、海鷹丸が来るまでセンサーが無事にデータを取り続けますように。音響切り離し装置がうまく作動し、アンカーがうまく外れてブイが浮き上がってきますように。海洋物理学研究室の財産のほとんどかどうかは知りませんが、高価な機器類と1年間お別れです。かわいい子には旅をさせよ。貴重なデータを持って帰ってきて頂戴。
物理チームの主な観測は今日で終わり、あと3点のCTD観測を残すのみです。(石丸)

1月16日の写真その2.神崎ボースン(甲板長)です。

1月16日の写真その3.「切り離し装置」です。

1月16日の写真その4.錘をつけて航走します。

1月16日の写真その5.最後に錘をレッコ(切り離して海中に落とし込む)するところです。

1月16日の写真その6.海洋観測支援センターの嶋田さんです。

「底層水のお話」
1月15日
深層大循環についてご存知の方も多いと思います。海水は塩分が高いほど、また水温が低いほど重く(密度が高く)なります。大西洋の海水は太平洋の海水より塩分が高いです。赤道付近で出来た水蒸気は積雲を生じますが、大西洋で出来た積雲の一部は偏西風に乗ってパナマ地峡を越え、太平洋側で雨を降らせます。一方、太平洋で出来た積雲はアジア大陸の高地に阻まれて雨を降らせ、水は大河となって太平洋に戻ります。海水の塩分は、蒸発量と淡水流入量のバランスで決まるので、大西洋の方が塩分が高くなるというわけです。高い塩分の海水が冷やされると、とても重い水ができます。そういうわけで、グリーンランド沖で冷却された重い水は沈み込んで深層水となり、大西洋を南下し、赤道を越えて南極海に至ります。南極海では海氷が沢山作られます。普通の海水(3.5%ぐらいの塩類を含む)は-1.9℃で凍ります。この時、水に溶けていた塩類は氷の中には入っていけないので、濃縮されて塩濃度の高い海水(ブライン)ができます。ブラインの一部は氷の中に閉じ込められ、多くは海底に沈んで底層水となります。こうして南極海で作られた底層水は、大西洋から来た水と一緒になってインド洋から太平洋に入り北太平洋に至って、緩やかに湧き上がり表層水になると言われています。この表層水は太平洋を南下してインド洋、大西洋の表層の流れとなってグリーランド沖に戻ります。この大きな循環は提唱者の名前を取ってブロッカーのコンベアーベルトと呼ばれており、1周するのにおよそ2000年かかるそうです。この大循環は気候に大きな影響を与えると言われており、気候変動を予測する上で、深層水がどのように作られ、またどの程度の量が作られるのかを明らかにする必要があります。ポリニヤと呼ばれる南極大陸の陸棚上の氷の開いた海域では、海から大気へと大量の熱が放出され、海氷生産が活発です。強い風で海氷が沖に運ばれ、開いた海面では新たな海氷が次々と作られます。ここでは、ブラインの排出とともに超低温の海水が沢山作られて沈み込みます。
海洋大物理チームの今回の目的は、中規模ポリニヤで作られる低温水の量を推定して、それが底層水となっていく過程を明らかにし、また底層水の作られる量や特性の年々変化を明らかにすることです。いやというほどたくさんの海底直上までのCTD観測と、明日やることになっている係留系の設置はそのためのものなのです。今日はCTD観測を繰り返しつつ、係留する機材をデッキに並べて組み立てました。写真左は
組み立て風景。右(写真その2)は念入りに点検する北出隊長。(石丸)

1月15日の写真その2.係留系の点検をする北出隊長。

「クジラの唄が聞こえない」
1月14日
結局今日も晴れませんでした。風速は13mから10mまで下がりましたが、なかなか気圧が上昇しません。今日から明日にかけて、南緯64度のライン上で、東経106度50分から109度までの間の8測点で、海底直上までのCTD観測を行います。測点間の距離が短く、観測と観測の合間が1時間半程度(観測時間は約3時間)ということで、なかなか大変な観測です。
ところで、本航海では、今までに私が経験したことのないくらいクジラが頻繁に現れます。私が見たのはザトウクジラだけですが、目視観測隊長の岩田さんによれば、ナガスクジラ、シロナガスクジラ、イワシクジラも現れたそうです。今日も、観測中にすぐそばにザトウクジラが現れました。岩田さんは、停船観測のたびにハイドロフォンを下してクジラの声を録音しようとしています。写真は岩田さんがハイドロフォンを垂下しているところ(錘の上にある小さなもの)と収録音をモニターしているところです。岩田さんの博士論文はオットセイの生態に関する研究だそうですが、なんとなく風貌が似ていると思いませんか。人懐っこい性格で女性にも人気があります。女性と言えば、本船には大勢乗船しています。まず、船舶職員では、28人中の4人、専攻科は30人中10人、研究関係では18人中12人、合わせて76人中の26人です。船は男の世界というのは昔話ですね・・・と脱線です。クジラの出す音としては、仲間同士の会話に使われるものと、餌を探すときに使われるものがあります。テレビなどでよく放送されているのは前者で「ウィィィィーン」といった感じの音です、これは主に繁殖海域である熱帯・亜熱帯海域で聞かれるもののようです。後者は「カチッ カチッ」といった感じの音で、餌を食べに回遊してくる南極海では、よく聞くことができるのではないかと思われます。海鷹丸もいろいろな音を出しています。エンジンの音もあれば、測深器や船底に設置されているドプラー流速計、魚群探知機などから出る超音波などもあります。周波数を解析しないとはっきりしませんが、クジラの出す音はどうもとれていないようです。チャンスはもう僅かですが。(石丸)


岩田さんは海鷹丸で南極に行くのは初めてで、実は船には弱いひとなのです。がんばれ岩田さん。(茂木)
「馬と犬」
1912年のきょう1月17日、イギリスのスコット隊がアムンセンに34日遅れて南極点に到達しました。スコットは帰途遭難し結局ベースキャンプまで戻ることはありませんでした。スコットとアムンセンの明暗を分けた要因については様々なことがあったようで、これはいろんな本に書かれているのでぜひ読んでみてください。何かを成し遂げるときに「準備」がいかに大事かということに気がつかされます。ひとつだけ紹介します。アムンセンが犬を、そり曳きや食料として連れて行ったのに対し、スコットは馬(ポニー)をそり曳きの主力と考え、食料としても想定していなかったようです。アムンセンは計画通りに犬の数を減らし、帰りの食料として帰途に残したりしていきましたが、スコットのポニーちゃんたちは全滅し、最後は人間がそりを曳くこととなります。スコットの名誉のために申し添えますが、スコットは探検よりも科学調査に大きな興味をもっていたといわれ、実際にいくつもの重要な科学的知見を得ていました。
写真の犬は本文とは関係ありません。(茂木)

写真の犬は本文とは関係ありません。(茂木)

「南限」
1月13日
2回目の日曜日。朝食はピザトーストでした。相変わらず曇り空で、風もなかなか落ちません。船が流されて氷山にかなり近づいたので、9時半に測定器を揚収して氷縁のサーベイをすることになりました。まず南下して数海里行ったところで氷縁に達し、続いて東に向かって110度付近まで戻りましたが氷縁は下がっておらず。今度は西に向かって氷縁を航行し、少し南下できたもののそこまで。15時40分から南緯64度43分、東経108度19分でCTD観測を行い、これ以上南下するのを断念しました。周り中氷山と浮氷で強風のためにとても寒いです。オオフルマカモメが沢山いて船の周りを飛び回ったり、海面に群れて浮かんでいたりしています。
しらせに乗船中の第54次本隊隊長の渡邉研太郎さんからメールが来ました。昭和基地北西約18㎞まで進んで接岸を断念し、空輸を始めたこと。73名の隊員のうち、しらせに残っているのは3名だけで、ほかの人々は設営や観測で出払っていて閑散としていることなどが記されています。「南極に限ったことではありませんが、大きな自然の力を再認識しています」。悲しい響きですね。
64度26分まで北上して、CTチェーンその他を投入して、明朝9時までドリフトです。22時30分頃にブリッジに行くと水平線のあたりは雲が切れていて日が沈むのが見えました。果たして明日は晴れるのか?(石丸)

1月13日の写真その2.今回はあまり海氷条件が良くなかったようで、一番南の到達点としては例年より1度くらい北になりました。このあとも安全に観測を続けてください。(茂木)

2回目の日曜日。朝食はピザトーストでした。相変わらず曇り空で、風もなかなか落ちません。船が流されて氷山にかなり近づいたので、9時半に測定器を揚収して氷縁のサーベイをすることになりました。まず南下して数海里行ったところで氷縁に達し、続いて東に向かって110度付近まで戻りましたが氷縁は下がっておらず。今度は西に向かって氷縁を航行し、少し南下できたもののそこまで。15時40分から南緯64度43分、東経108度19分でCTD観測を行い、これ以上南下するのを断念しました。周り中氷山と浮氷で強風のためにとても寒いです。オオフルマカモメが沢山いて船の周りを飛び回ったり、海面に群れて浮かんでいたりしています。
しらせに乗船中の第54次本隊隊長の渡邉研太郎さんからメールが来ました。昭和基地北西約18㎞まで進んで接岸を断念し、空輸を始めたこと。73名の隊員のうち、しらせに残っているのは3名だけで、ほかの人々は設営や観測で出払っていて閑散としていることなどが記されています。「南極に限ったことではありませんが、大きな自然の力を再認識しています」。悲しい響きですね。
64度26分まで北上して、CTチェーンその他を投入して、明朝9時までドリフトです。22時30分頃にブリッジに行くと水平線のあたりは雲が切れていて日が沈むのが見えました。果たして明日は晴れるのか?(石丸)

1月13日の写真その2.今回はあまり海氷条件が良くなかったようで、一番南の到達点としては例年より1度くらい北になりました。このあとも安全に観測を続けてください。(茂木)

「南へ」
この時期にはどんどん氷が融けて流れ出すので、氷縁の位置が日ごとに変化します。低気圧の接近などで強い風が吹くとまた氷の位置が変わります。(茂木)
--------------------------
1月12日
24時間観測が終わってみると、氷縁が移動していたので、南下して次の予定点の観測をしました。南緯64度30分です。さらに、南下して64度41分の点も観測できました。気象衛星の画像では大きな低気圧が接近しており荒天が予想されるので、少し北上して氷縁から8海里のところでCTD観測を行い、その後、朝までドリフト。浮き輪に付けたCTD(Floating CTD: FCTD)、同じくブイに付けたADCP(音波ドプラー各層流速計), CTチェーン(いろいろな長さのコード付きの塩分・水温センサーを束ねて海中に吊るし、各層のデータをコンピュータに収録する装置)、クジラの鳴き声を収録するハイドロフォンなどを水中に投入して、朝まで自動観測です。甲板作業は無いので、ワッチを少し残して後はお休み。低気圧は朝までに通過すると思われます。強風で氷縁が西に移動すれば、もっと南下できるかもしれません。(石丸)

--------------------------
1月12日
24時間観測が終わってみると、氷縁が移動していたので、南下して次の予定点の観測をしました。南緯64度30分です。さらに、南下して64度41分の点も観測できました。気象衛星の画像では大きな低気圧が接近しており荒天が予想されるので、少し北上して氷縁から8海里のところでCTD観測を行い、その後、朝までドリフト。浮き輪に付けたCTD(Floating CTD: FCTD)、同じくブイに付けたADCP(音波ドプラー各層流速計), CTチェーン(いろいろな長さのコード付きの塩分・水温センサーを束ねて海中に吊るし、各層のデータをコンピュータに収録する装置)、クジラの鳴き声を収録するハイドロフォンなどを水中に投入して、朝まで自動観測です。甲板作業は無いので、ワッチを少し残して後はお休み。低気圧は朝までに通過すると思われます。強風で氷縁が西に移動すれば、もっと南下できるかもしれません。(石丸)

「ボートで採集」
1月11日
氷縁から少し離れた測点(東経110度、南緯64度4分)で、24時間観測開始。IONESSの深・浅2キャストを終えたのち、一旦中断して、氷縁付近まで南下、17時半からボートを下して着色氷を採集しに行きました。極地研の院生小島さんの研究テーマで、氷の中や周辺の海水にいる有孔虫という微生物を採集するためです。海水が凍るときに、その中の微細藻類が氷に閉じ込められ、春になって光が強くなると大増殖して氷に色がつきます。これが着色氷(上右)で、微細藻類をアイスアルジー(Ice algae)と呼びます。海水が凍るときに氷に閉じ込められた微細藻類が、春になって光が強くなると大増殖して色づくものです。氷縁で沢山採集される有孔虫も、結氷時には氷の中に入っていると考えられ、それを検証したいとのことです。私と一等機関士の熊谷さんは広報担当で参加です。海鷹丸の写真は熊谷さん撮影です。残念ながら雪で視界が悪く、あまりぱっとしませんでしたが、海氷の色がとてもきれいですね。
ボート帰船後21時からは、IONESSの夜の部をやりました。

1月11日の写真その2.ボートを下しての海氷採集は初めての試みでしたが、うまくいったようで何よりです。氷の汚れたように見えるところがアイスアルジーです。これをまたナンキョクオキアミらが食べていたりします。(茂木)

1月11日の写真その3.一等機関士熊谷さん撮影だそうです。天気は今ひとつのようですが、南極ならではの構図です。(茂木)

「これまでか?」
写真は海図です。南側(下側)の複雑なラインは航走しながら描かれた氷縁のライン、赤い点が海鷹丸の位置を示しています。縦の線がおそらく110°E線です。南下できる場所を探して東に移動してきた様子が分かります。(茂木)
-----------------------
1月10日
「これまでか?」
1時過ぎに南緯64度20分の測点C08に到着、5時ちょっと前まで観測。次はC09という64度30分の点に向かうはずだったのですが、氷縁に阻まれて南下することができません。氷の開いているところを探して東に30海里ほど進みましたが見つからないため、南緯64度22分、東経110度11分を定常観測の一番南の測点として9時から観測することとしました。測点到着の寸前、ペンギンの乗った小さな氷山が流れてきました。南極大陸からはまだ300㎞も離れているこの場所でペンギンを見ることができたのはかなりラッキーと言えるでしょう。海鷹丸はそっとお邪魔しないように脇を通り抜けたのでした。
夜間はドリフトして休みました。残念ながら昨年より約1度北まで氷縁が張り出しており予定通りの観測はできないかもしれません。人工衛星からの写真では、雲と氷が紛らわしいのですが、110度ラインのずっと南の方は大きく開いています。海氷が早く移動すればまだまだ南下できる可能性もありそうです。(石丸)

1月10日の写真その2
「衛星写真」です。黒い部分は海面が開いているところ、白い部分は氷か雲です。南の方はやや開いていますが、よく見ると小さい氷がたくさんあります。十分気を付けてくださいね。(茂木)

1月10日の写真その3.
「アデリーペンギン」ですね。氷の上の赤い点々はナンキョクオキアミを食べたあとの糞のようです。大陸で繁殖しますがオキアミを食べにここまで出張してくるのでしょう。(茂木)

「ご機嫌な朝」
1月9日
朝の内は久しぶりに日がさしてとても暖かでした。南緯63度の測点では氷山がくっきりと見えました。風が弱くていろいろな海鳥が海面に浮かんでいます。表面の水温・塩分測定のためにCTDを浮き輪に取り付けて流したところ、マダラフルマカモメはすっかり気に入ったようでずっと周りを泳いでいました。天気が良くて波もないので、水中に漂う翼足類のクリオネやリマシナが良く見えます。専攻科の諸君は竿に小型プランクトンネットを括り付けて即席のタモアミを作って掬っています。リマシナがクリオネに食べられるところを観察することができたそうです。人も鳥もとてもご機嫌な朝でした。
午後から63度30分で観測。ザトウクジラが数頭現れ2,30分ほど船の近くにいて、胸鰭で水面をたたいて大きな水しぶきをあげていました。なかなかの迫力でした。夜のパーゼロで64度の測点を観測。かなり氷縁に近づいたとのこと、今年はどこまで南下できるのでしょうか。

1月9日の写真その2 「ザトウクジラ」

1月9日の写真その3 「晴天の氷山」

氷山がいっぱい
「どちらもがんばれ!」
昨日、「海鷹丸」北出隊長から連絡がありました。海鷹丸が観測を重点的に行っている海域では、今年はやや海氷が多い状況で、針路を阻まれているようです。予定していた観測点の多くにたどり着けないかもしれません。南極海の観測ではよくあることなので、それほどがっかりすることでもないのですが、その場で観測計画を再構築しなくてはならないので、隊長は各方面の調整に苦労されていることでしょう。「しらせ」の方も昭和基地沖で厚い海氷に阻まれて苦戦しているようです。9日にプレスリ...リースがありました。6 m近い氷が前方に立ちはだかっているとのことです。基地には燃料や食料など補給物資を待つ隊員がいるので、このミッションが成功するか否かは、今後の基地での調査活動にも大きな影響を与えます。「海鷹丸」も「しらせ」もがんばってください。写真は2012年1月9日に撮影されたものです。今現在海鷹丸がいる位置とだいたい同じ場所です。大きな氷山の周りは海氷で埋まっています。砕氷船ではない海鷹丸はこれ以上近づけません(茂木)

「各層採集のお話1」
写真はIONESS(アイオネス)を投入するところです。ワイヤーでバーが釣られているのが見えます。このバーの間に1枚ずつ、合計8枚のネットが装備されています。(茂木)
------------------------------
1月7日
引き続き、南緯60度で観測です。昨日から今日にかけて、多段開閉式ネット(IONESS)による各層採集を昼夜2回行いました。
... 海洋生物はさまざまな深度に分布しています。植物プランクトンは光合成するために必要な光の届く浅い水深に分布し、それを餌とする食植性の動物プランクトンも同じく浅い層に分布します。一方、肉食性の生物や、表層から沈降してくる有機粒子(たとえば、動物プランクトンの死骸や糞、それらの分解物の集まったもの。大型の粒子はマリンスノーと言われる)を餌とする生物は、さまざまな水深に住んでいますが、やはり種毎に生息深度が異なります。また、動物プランクトンや深海魚のなかには、昼と夜で分布する深度を変える種類があります(日周鉛直移動)。このような行動は、視覚により餌を探すような生物から逃れるために発達したと言われていて、明るいときには深い層に潜み、暗くなると浅い層に上がってくるのが普通ですが、その反対の行動をとる種も知られています。生活史の中で生息深度を変える種もたくさん見られます(季節的鉛直移動あるいは発生段階に伴う鉛直移動)。生物多様性や、種の生存戦略、物質の鉛直輸送などを明にする上で、どの深さにどんな生物(幼生から親まで)が分布しているのか、それらの間の食物連鎖はどうなっているかを知ることがとても重要です。
ということで、前置きが長くなりましたがIONESSのお話です。写真のように、左右2本のレールの間を滑って移動する8本のバーとレールの一番下に固定されたバーがあります。ネットは9枚で、1番下の網の下側は固定されたバーに上側は下から2本目のバーに取り付けてあります。2番目の網の下側は下から2本目のバー(1番下の網の上側と同じ)に、上側が3本目のバーに取り付けてあります。同じようにして、10本の
バーの間に9枚の網を張り、一番下のバー以外の移動式のバーをワイヤーでつって一番上まで持ち上げて切り離し装置に固定しておきます。つまり、一番下の網だけが開いている状態です。この状態でIONESSを水に入れ、船で曳きながらアーマードケーブルを繰り出します。一番深い層に届いたら、信号を送って下から2番目のバーをつっているワイヤーを切り離します。すると、バーはレールを滑って落ちるので、1番目
のネットが閉じて2番目のネットが開きます。ワイヤーを順番に切り離してレールを一つずつ落とすことによって、8枚の網のそれぞれに異なる層の生物が採集されるという寸法です。
南緯60度の測点では、昼夜のIONESSを1セットずつ(2000mから400mまでの8層と400mから表面までの8層の各1回)の計4回行いました。今日はとてもくどい話になりましたが、そのくらい大事な採集だということでご容赦ください。(石丸)
1月7日の写真その2 IONESSが上がってきたところです。すべてのバーが切り離されてネットが閉じた状態です。開閉がうまくいったようです。


「余儀なくローテク」
南極海まで行ってトラブルが起こると大変です。部品の予備は必ず用意していますが、その数にも限界があります。沿岸域の観測ではどこかの港で調達できる可能性もありますが、南極海にそんな港があるわけもないです。現場での臨機応変な対応が必要です。(茂木)
----------------------------
1月5日
南緯55度の測点は、13時に開始。風速6m、波高2.2mですっかり穏やかになりました。ナンキョククジラドリの群れが飛び回っています。観測は順調・・・・と思いきや、1回目のCTDキャストの終了後、アーマードケーブルがキンクしている(よじれて曲がっている)ことが解りました。さあ大変。そのままでは危険で次のCTDキャストができません。アーマードケーブルは外側に2層の鉄線の被覆を持ち、中心に電線が1本通っているもので、単にCTDのフィッシュ(水中局)と採水装置を水中につるすだ
けでなくフィッシュに電流を送り、船上局に信号を伝える働きがあります。このため、修理するには①切断してキンクした部分を捨て、②重量物をつるための部品を取り付け直し、③アーマードケーブルの外層の鉄線と中心の電線を耐圧コネクター付きの電線につなぎ、④接続部をモールドして防水加工し、CTDのフィッシュを取り付けられるようにしなければなりません。この作業には、数時間かかります。とても貴重な時間を失うことになります。そこで、チョッサーや甲板部の人たちが考えたのは、アーマードケーブルにワイヤーを添わせてワイヤークリップで固定して強度を保つという方法でした。これには、いくつか問題があります。
そもそも、海鷹丸のCTDシステムは大型で重く、人が支えて水中に下ろしたり、デッキ上に回収したりするのが大変なので、嵌脱装置つきのクレーンで操作しています。結構ハイテクで、嵌脱装置でフレームをキャッチしてクレーンで船外に運び、リリースしてケーブルを繰り出す。あるいは、逆の操作でケーブルを巻き込んでキャッチしてからクレーンでデッキに運ぶというようになっています。このため、揺れの激しい海でも安全に観測ができるのです。ところが、ケーブルにワイヤーを添わせると、そ
の部分を滑車に通せないので嵌脱装置が使えなくなるのです。ということで、ケーブルでつったままフィッシュを海に入おろし、同様に回収するという人力作戦になりました。浅いほうのキャストで短時間で済むこと、海が穏やかで人力作業でも安全性が確保できることなど、いろいろ勘案してのローテク作戦でした。船では、臨機応変に故障に対応して観測を続けます。百戦錬磨の乗組員は、とても頼りになります。
実は、アーマードケーブルは昨日もキンクして修理したばかりだったのです。次の観測点につくまでに原因を究明しなければなりません。観測時間の問題だけでなく、修理部品が足りなくなる心配があります。(石丸)

嵌脱(かんだつ)装置(先端部分)つきクレーンです。このクレーンがあるおかげで、荒れた海でのCTDの投入や回収が安全かつ容易にできるのですが・・・。

こちらも1月5日の写真です。嵌脱(かんだつ)装置を使わないでCTDの回収をしています。くれぐれも慎重にお願いします。(茂木)

「今日は日曜日」
しばらくぶりにレポートが届きました。昔はパンは一切出なかったのですが、若い人たちはパンが好きなので週一でも喜びます。観測の方は、今回はやや人数が少ないのでたいへんです。けがの無いように。(茂木)
--------------------------
1月6日
出航してから1週間がたちました。毎日同じような観測の繰り返しで、今日は何日なのか何曜日なのか分からなくなります。ただし、日曜日の朝食はパンなので時間がたったのを思い出します。
今朝から氷山が現れるように...なりました。12時30分に測点に到着。前回までは東経110度ライン上の緯度5度ごとの観測だったので1日1回でしたが、ここ(南緯59度)からは、氷縁まで1度あるいはもっと短い緯度間隔で観測するので、多い日は1日3、4回になります。観測は4時間ごとの3ワッチ体制(時間交代の作業班)で、0時から4時(ゼロヨン)、4時から8時(ヨンパー)、8時から0時(パーゼロ)の割りふりです。
私はなんとパーゼロの班長に任命されてしまいました。時間的に一番楽なワッチとはいえ、とうとうご隠居生活とはサヨナラです。
22時ごろ、南緯60度の大観測点につきました。ここから、多段開閉式の大型ネット類(RMTとIONESS)、小型の閉鎖ネット(がまぐちネット)、乱流を測るターボマップ、クジラの声を聴くハイドロフォン、大量採水器つきのCTDなどが次々に登場です。詳細は順次お伝えしますが、新しい装置を動かすたびに問題が生じ、測点間隔が短くなることもあって、寝る時間が少なくなります。(石丸)

「ローテク」
1月4日
夜中は大しけでした。なかなか海況が良くならないので、6時過ぎから6ノットに速度を落として航走しました。1ノットは毎時1海里(1.85㎞)、通常は12~16ノットで航走します。13時に南緯50度を少し過ぎたところで観測開始。風速8m、波高4.8mでした。
昨日の観測後から連続プランクトン採集器(CPR: continuous plankton recorder)を船尾から曳航していましたので、まずそれの回収からです。CPRは、英国のハーディー卿(Sir Alister Hardy)が考案し、1925~27年のディスカバリー号の南極航海に用いられました。本体についたプロペラが水流で回ると、上下2枚の長い帯状の絹のメッシュが曳航した距離に応じて巻き取られるようになっています。取水口から
入った海水中のプランクトンは下のメッシュでこされ、上のメッシュとの間にサンドイッチ状になって保存されます。全部メカだけの優れもの。シンプルで頑丈なため、フェリーなどでも曳くことができます。今でも使われているというより、今になってより広く使われるようになってきました。昔からの記録が残っている北部北大西洋では気候変動の様子がプランクトンの分布や出現時期の変化から明らかにされました。ローテクもロートルも大したものなのですね。ちょっと便乗でした。
CTDを予定通り深・浅2キャスト行い、17時半過ぎにはCPRを投入。曳航しながら次の点に向かいます。明日は良い天気になりますように。(石丸)

「目出度くもあり目出度くもなし」
私も誕生日が年末なので、この10年くらいほとんど毎年、誕生日を南半球で迎えていました。それにしても、気象条件は観測可能ラインぎりぎりか、やや超えています。くれぐれもみなさん気を付けて。(茂木)
--------
1月3日
5時に南緯45度の測点に到着。風速16.5m、有義波高6.0m(最大波高は13m)。何とか操船できそうとのことで観測開始。気温は10.2度、途中で雨が降ったり、波がデッキに打ち上げたりして過酷な環境です。だんだん海況が悪くなるとの予想で、CTDは深いほうのキャスト(3890 m)だけで測点を早く離脱することになりました。1月2日から始まった5測点では、南極観測プログラムのうち定常観測という長期的なモニタリングの一部を実施しています。海鷹丸は今年はじめて担当することになりました。気候変動のシミュレーションなどにもちいられるデータで、世界水準の精度が求められています。このため、マリンワークジャパンから2名の観測支援員が派遣されて来ています。佐藤さんと片山さんで、CTD観測や栄養塩、溶存酸素などの分析のプロです。採水などの実地指導やいろいろな解説はとても役に立つものです。ちなみに佐藤さんは本学OBです。
午後から岩田さんと極地研の飯田さん(写真)の講義。専攻科向けですが、研究員もほとんど参加しました。20時半過ぎから飯田さんと私の誕生祝。彼は34、私は64歳になってしまいました(真中が私、右が飯田さん、左は主席の北出さん)。いろいろプレゼントを頂きました。今晩、航走中に低気圧をやり過ごせそうです。衛星画像(写真その2)の中の赤いしるしが本船の位置です。低気圧の中にいます。明日は、8時ごろ測点につく予定ですが、夜中はかなり揺れそうです。(石丸)

1月3日の写真その2。雲の渦の中に海鷹丸が突っ込んでいきます(南下していきます)。

「観測開始」
観測が始まりましたがさっそく大時化みたいです。研究者はみな船には慣れている人たちばかりですが、体の慣れていない航海の序盤に時化ると結構つらいかもしれません。写真はCTD観測です。CTDは海中を一往復する間に水温や塩分などを測定するほか、周囲に備え付けられた24本の筒状のボトルで、任意の深度から採水することもできます。(茂木)
----------
1月2日
「観測開始」
南緯40度の測点に予定時刻に到着。幸い海況はそれほど悪くなく-と言っても波高4mで風速は10m以上ですが-観測が始まりました。ちょっと準備に手間取りましたが、おおむね順調で1回目のCTD観測(水深4600mまで)は5時ごろ終わりました。水を取ったあと、さらに200mまでの採水を行い、8時過ぎには片付け終わって航走を開始しました。採水作業は、練習の成果が表れて、予定よりも早く終わったくらいです。航走開始のちょっと前にクジラの群れが現れました。支援センターの岩田さん(目視観測の隊長)によればオキゴンドウだそうで、このあたりが分布の南限だそうです。アホウドリも出てきました。マユグロアホウドリに似ていますが、くちばしが黒くて、眉がない。目が点だけで迫力が無いです。岩田さんによればマユグロの幼鳥だろうとのことですが。ほんとかなー。13時からオペレーション会議。次の測点あたりでは、波高が10mを超えるとの予報で、観測は難しそうです。明朝5時のオペレーション会議で実施するかどうかが決まります。さて、どうなることやら。波は高いですが、追い手なので、思ったほど揺れません。(石丸)

1月2日の写真、その2。オキゴンドウです。船を見に来たのでしょうか。これからいろんなクジラが出てくることでしょう。観測中のお楽しみです。

1月2日の写真、その3 マユグロアホウドリだそうです。揺れる船でこのような写真を撮るのはたいへんそうですね。

「船もお正月」
今頃は最初の観測点にいることと思いますが、海鷹丸は間もなく暴風圏です。(茂木)
---------------------
1月1日
新年あけましておめでとうございます。今朝も6時半にデッキでラジオ体操。朝ご飯はおせち料理。本船の司厨部(平たく言えば船のコックさん)は高い技術とサービス精神で、いつも美味しいものを食べさせてくれます。ブリッジには鏡餅。昼食後に後部甲板に集合して船長の新年のご挨拶、引き続き機関長の音頭で乾杯。でも新年はそこまでで、14時からは採水方法の説明会です。CTDという測定システムで海底直上(4000mぐらい)から海面まで連続的に水温・塩分を測り、所定の層で採水器に海水を取ります。この海水について、溶存酸素、クロロフィル、栄養塩そのほかたくさんの分析を行います。分析項目ごとに採水器から異なったサイズや形状の容器に水を分けますが、取り方にもそれぞれお作法があるので慣れるまで大変です。気温は急速に下がって20度を切りました。明日の2時に観測点に到着予定ですが、低気圧が来ていて心配です。船の揺れがだんだん大きくなってきました。今日は、早く
寝ます。(石丸)


---------------------
1月1日
新年あけましておめでとうございます。今朝も6時半にデッキでラジオ体操。朝ご飯はおせち料理。本船の司厨部(平たく言えば船のコックさん)は高い技術とサービス精神で、いつも美味しいものを食べさせてくれます。ブリッジには鏡餅。昼食後に後部甲板に集合して船長の新年のご挨拶、引き続き機関長の音頭で乾杯。でも新年はそこまでで、14時からは採水方法の説明会です。CTDという測定システムで海底直上(4000mぐらい)から海面まで連続的に水温・塩分を測り、所定の層で採水器に海水を取ります。この海水について、溶存酸素、クロロフィル、栄養塩そのほかたくさんの分析を行います。分析項目ごとに採水器から異なったサイズや形状の容器に水を分けますが、取り方にもそれぞれお作法があるので慣れるまで大変です。気温は急速に下がって20度を切りました。明日の2時に観測点に到着予定ですが、低気圧が来ていて心配です。船の揺れがだんだん大きくなってきました。今日は、早く
寝ます。(石丸)


出航
あけましておめでとうございます。海鷹丸は昨日予定通りフリーマントルを出港しました。以下、海鷹丸からの報告です。本年もよろしくお願い申し上げます。(茂木)
---------
12月31日
「出航」
10時半に出港。パイロットがフリマントル港外でボートで下船しました。ボースン(甲板長)が、チェーンの出入り口をセメントで固めます。暴風圏では青波が船首を越えて入ってくるので、チェーンロッカーに海水が入らないように閉めきってしまうのです。これが済むと、いよいよ南極海に行くのだという気分になります。13時から退船訓練とイマ―ジョンスーツの着脱訓練。冷たい海に落ちても大丈夫とのことですが、この炎天下では暑さで死にそうです。専攻科生は2分以内に着用できるように訓練しているそうですが、私はとても一人では着られませんでした。手伝ってくれた専攻科の皆さん有難う。14時からサロンに集合して研究員乗船者会議。みんな結構緊張しているようでした。そのあと、各研究班の代表と観測支援センター員の会議、さらにブリッジで、代表者と船の人たちで観測日程と内容の確認(オペレーション会議)。夕食後には、入港中にシールされていた免税品の庫出しです。大量のビールが目の前に現れました。今日は大晦日なので19時すぎに年越しそばが用意されました。21時から結団式で、酒や肴を持ち寄って一杯。これから、主席研究員室に移って年越しパーティーだそうですが、今日は、いろいろあって疲れたので、私は寝ることにします。それでは皆さん良いお年を。(石丸)
